秋にうらりんが山形に来た時は、焚火を囲んで同時に画面に入ったのですが、それぞれのフィールドから入るのはどうするか・・・。もちろん、できる人はできているので、聞けばよいのでしょうが、そこは自分たちのチャレンジとしてあれこれやってみよう。
今回1回目になってますが、実は0回目がありまして(笑)
なんのことはない・・・
設定ミスでうらりんの声が聞こえないという失敗をやってます。しかし、だからこその今回の成功がうれしい。
やってみたら、これがまた面白い。初回ゲストは宮城県石巻市で教員をしている本川さん。30分の予定が50分ほど話し込むことに・・・さらに番外編の振り返りもあり。その様子を文字にしてみました。
み:みきてぃ う:うらりん も:本川(もっちゃん)
み:今日は記念すべき第一回。「MUのいどばたライフ」。そもそもMUって何かというと、みきのMとうらりんのUでMU(笑)二人がゲストをまねいてゆるゆると話をする。そんな場です。自己紹介をお願いします。
う:うらりんといいます。ナースファシリテーターというなんといいますか、資格業でいうと看護師免許を持っています。まあ、あの看護師のアイデンティティの中にいますが、今この腕を病院で使いたいという人はいないんじゃないか。そんなきがしております。東京在住ですが月の1・3は島根県の出雲市に在住しております。
み:今日のゲストです
も:緊張するわ。こんばんは
み;まず自己紹介を
も:自己紹介ですか。本川良と言います。小学校の教員をしていて、へき地の海岸辺でやる
のが好きな教員です。よろしくおねがいします
以前うらりんが山形に来た時、焚火をかこんで、妄想を語りました。その場に、もっちゃんも一緒にいたので、当然有無を言わさずゲストとしてここに呼ばれました。
も:最近はですね。2週間学校を休むんですよ。休んで今研修。勉強中。学生。(2月6日
現在)社会教育主事講習というのがあって気になってたんです。そしたら学校に文書がきまして。ほら教務主任だからさ最初に見たわけ。「おっ!!」と思って管理職に「これ行ってもいいですか。行きたいんですけど」って言ってみたのね。でも時期が2月。
学期末とか次年度計画とか始まる段階だし担当だし。無理だろうと思いながらダメもとで 。そしたらねOKがでたんだよね。
み:もっちゃんのブラ雄勝とかシイタケ占いに紙っているとかもっちゃんの様子見てると、あんまり学校の先生してるすがた見ないけど先生してるね(笑)
も:学校の先生もしてるんだよ
【しいたけ占いについて語る】
毎週月曜日に更新される占いサイト。しいたけさんをFacebookでシェアしているうらりん。そこから結構たくさんの人が自分の星座にアクセスしているだろうと思われます。そしてもっちゃんはよく、「シイタケさんの言う通りだった!!」「神ってる!」と言っているので話題にしてみました。
う:毎週月曜日に除かれているような雰囲気で発信をしてくれるのでみてるんだけど。私は自分の山羊座しかみてないんですけどね。個人事業主だから曜日感覚がない。シイタケさんがきて「あ月曜」そんなかんじもあります
も:うらりんのあれをみて月曜日だと(笑)
み:うらりんに曜日を教えてもらう。うらりんはどんな感じだった
う:今週神がかってる。山羊座ってギャンブル性があってばくち的な。大当たりも大はずれも喜ぶのがやぎざってことで、今私は大当たりコースにいるらしいけど、1月2月は自堕落なので何もやる気がおきない。確定申告の時期。これから領収書を箱から出すとこ
み:ところでもっちゃんは?
も:すごいよ(笑)もうちょっと次の目標をどうしていくかの緑だって。すぐに次めざすのでなく私なりにもう少しぶらぶらしたーい。まさにそんな感じですよ。今週は過渡期なんだって。次を決めていくより先に生活から抜け落ちたピースをひろうこと大事って。
う:大事ね。ちょっとやってみるかみたいな
み;もっちゃんっていつもそんな感じでない?ブラ雄勝と
も:そうそう。いつも思いつきではじめるから。学校とかでも「またはじめてーー」とか。うまくいかないやつはフェードアウトあうとするから、とっ散らかっているようにみえてね(笑)
う:いいんだよ。そういうの、まずやってみないとはじまらんからね。やってみてあわないことは続けてもしゃーないやん。年をとってきたのもあって、やれることやらないと死んじゃうかもしんないじゃん。明日とかおもうこともあって
も:ちょっとやってみたいんだよね。気になった時にやってみないと、考えているとタイミングを失う
う:極めたいともちょっとちがうのかな
も:うん。極めたいってないかも
【極めると流れる】
う:極めたいってわけじゃないけどやりたいなと思ったことはやってみたいな?
も:しばっちゃちゃう気がするんだよね。自分で。ながされていく。川下りだから、流されてる。流れてきた。モモとかお札とか拾いたくなったら拾ってみて、なにか書いてあったらそっちに行ってみる。みたいな。そもそも宮城の雄勝にいるのだってそんなかんじで。流れていったらここにきたみたいな。
み:そういえばもっちゃん宮城出身じゃないもんね
う:極めるも「ある」だとおもうの。のろわれちゃう人っているじゃん。「ねばならない」みたいな。自分で自分を縛っちゃうと身動き取れなくなるのかなって思ったりしてさ。身動きとれなかったらながされなくてしずんじゃうからね。(笑)
コメント欄に「流木」という言葉が流れてきました。以前ワークショップの中でもっちゃんが持ってきた流木は「伝説の流木」とその時の参加者に言われています。ちょっと話題は流木へ
も:あれも流されてきたなかまだね
う:おもしろいね。ながされてきたのってどっかに集まってくるじゃん
(あーー(笑))
たしかに
う:集まってきて、きれいにみえるときもあるし、てゴミって言われることもあるし((笑))
人から見たら流されてきたものってそこに価値を見出す人もいるわけじゃない。ガラスとかだって、ごみっかもしれないし、拾ってきれいっていう人もいるし。
も:あーなるほどね、流木も人によってはごみだしね
う:そうね人によってね
み:人によってもだけど、かたちによっても、いいと拾われるものと、放置されるのと。
う:それも相性で人によって惹かれるとか、いいとかみんな違うからさ。すごく個性的よね
コメント欄に、「私は極める派」「私は酒を極める派」とか(笑)
も:あーわかる
み:自分のなかでこれは極めたい、これは流されていいっていうのもあったりする
も;Aさんなんてまさにそうだよね。おれと真逆の世界にいるんだけどだからおもしろい。
う:極めると軸を持つは一緒なのちがうの?私は違うと思っていて、流されるときも軸はもっていると思うんだよね。流されるぞっていう(笑)自己選択で拾ったりすわけでしょ
も:そうそう。
う:自己選択で今日このでっかい、すいかやめてこうとか流れていくわけで
も:目に入らないんだよ。そういうのは。なんか考えていると目にはいるものを拾う
う:目に入るってことはなにかしらあるってことでしょ。なんかぴぴっとくるというかさ。
も:流木もなんでもいいわけでなく。
う:どんなのひろうん?
も:へんなの(笑)
み:拾いにつれていってもらって分かったんだけど。微妙な形の違いとか質感とか。触った感じとか「これはいいや」、「これこれ」とか。なんだろ。ことばじゃないんだよね。相性。感覚
う:えそれはなじむとかそういうこと?自分に
も:なんどろうね。つるつるなものもいいし、ざらざらなものもいいしんだけど、なんだろう。大きさも2メート級のものから、あ、2メートルもないか。1メートル越えみたいなもの。あと「何をする」もあるんだけど、そこまでなかなかいけてないから、あちこちおいてみたり。
う:それって場所によって「ばえかた」がちがったりするわけ?
も:うん違う違う。ぜんぜん違う。山形の紅花ドライフラワーを龍みたいな流木にさしてんの。センスあるかないかはわからないけど、俺はいいと思ってさしてんの。それを廊下にね飾っているわけ。そしたら、特別支援の子が「怖いって」その前の廊下通れなくなったり・・・
う;こわいの?なにかが見えてんだね
【源を語る】
う:もっちゃんがずっと宮城にいるのはさ、なんかその源になっているのはなんなのかな。
も:どこに最初があるかわからないけど、東京出たかったんだよね。なんで出たかったかというと、両親が鳥取県出身だったの。子どもの時、休みは鳥取で過ごしていたんだけど。むっちゃ楽しくて、カブトムシ取りに行ったり、オタマジャクシ取りに行ったり。そういうの好きだったから。楽しみで。自分が教員になったとしてもそういうところでやりたいって思ってたんですよ。だから、採用試験も、鳥取と東京受けたりした。鳥取が受からなくて。東京を出ることを考えていて。東京都違う試験日がその当時宮城県だったんですね。それで宮城県に採用してもらった。とにかく田舎でできればいいって思ってたから。まずはね。東京でも受かった時「島に行けますか」と聞いたら空きがないといわれて。だから宮城にきたんだけど。「僻地がいい」って言ったら、牡鹿半島の端っこにぼーんと。そこがスタート。だから、「じゃなきゃいけない」はなかったんだよね。
う:じゃ、ご縁で。
も:うんご縁、まさに
う:でもさ、みきてぃはずっとそこにいるわけでしょ
み:うーん。そうだね。山形生まれ、山形育ち。県内の最上・庄内と県の上の方はぐるっと回ったけど、基本山形だね
う:それは「山形が好きだから?」
み:ううん。大学は千葉大に行きたかった。山形と千葉両方受験して、千葉大からくるなって言われたから(笑)
う:まーね。山大にご縁があったのね(笑)
み:まあ、でも採用試験の時は川崎と山形受けてたけど、「先生するなら山形で」っていうのがあったから、川崎も3次までいって、面接はうけかったんだよね。その前に山形が受かったからね。
う:地元感は山形でしょ。もっちゃんの地元感ってどこにあるの?
も:今は、雄勝だな。雄勝とか石巻とか。やっぱりうん。そんな感じ。その場で過ごしていろんなことやると人のつながりできるしね。子供のとき、熱中時代ってドラマがあったんですよ。知ってます?(コメント欄もみんな反応(笑)俺の中では、水谷ゆたかが学校から帰るとき近くのおばさんから大根かもらって帰るシーンが(もしかしたらもうそうかもしれないけど)あって。「こんな生活がしてみたい」って思ったんだよね。それでいなかでやりたいって。なんだかんだいってそれに近い形になってるからね。大根じゃないけど。
う:東京の人だからって気もするなってちょっと思って。今の聞いててね。
も:うん。そうだね。本当のところは分かってないんだと思う(笑)
う:よくわかんないけどね。うちの息子は東京生まれ、東京育ちで、地方にすごいあこがれがあって、なんかおんなじなのよね。なんかこう、朝起きたらその前の日にたのまれて倒木を伐採してあげたおうちの人が自分のつくったうどんをゴミ袋いっぱいもってきてくれたり。朝起きたら白菜が置いてあるとか感動して電話よこすんだけど。いや、よくあるから。いなかは。
み:うんあるある
う:カルチャーがなんか違うみたいなところもあるのかなって思ったり。
み:この辺はないけど初任地金山町のとき、「玄関にタケノコごはん置いといたから」「いちごおいといたから」って学校に電話かかってきて。風邪ひいて寝てるとピンポンとご飯がとどくみたいな。
う:ねあるよね。きゃべつの産地の教員の研修にいったことあって、キャベツの時期になるとみんながキャベツをもってくるので、夫婦教員で「キャベツが山のように・・・」わかめの季節には「わかめが山のように・・・」りょほうから届きますみたいな。いいもの取れたからみんなでたべようっていうのがうれしいんだっていってて
それはその人たちも外から来ているから、物的な何かっていうより受け入れられているっていう感じがあったりm一緒に住民の中何はいったりがうれしいんだよね
【先生という仕事を通して】
も:学校の先生って楽しいんだよね。むっちゃおもしろい。特に地域の中にうまくっていうか、一緒にやったりができると。都会だからできないとかでなさそうな話だと思うんだけど、なんかね楽しい仕事だなって思う。そこがうまくいかなくて困っている先生とか学校があるわけじゃない
う:学校の先生ってさ、地方になればなるほどランクが高いって思ってるのよ。みんなが先生って偉い人だっていうみたいな。特に年配者のひとからすると、いまだに聖職者、立派な人、ちゃんとしてて、頭良くてなんでも知っててみたいな。
も:いまどきはそうでもないけど大事にはしてくれるね。一概には言えないけど逆に都会がどうかわかんないからね。ま、東京とか大阪みたいに、例えがいいかわかんないけど、親が東大だとか、研究者だとかいう人がごろごろいるわけでないから、同じ話題を普通にできるし上から目線で何か言われるってこともそんなにないし。
う:もっちゃんの話とか聞いてると、お互いが教え合うみたいなあるじゃん。漁師さんと一緒にやると何か教えてくれるとかあるじゃん。教える人と教えてくれる人ってそれもランクだと思ってるのね。教える人がやっぱりえらくなるし、教わる人はいつも教わる立ち位置になるとおもっているし。もっちゃんのブログとかFacebookとかみていて教える人と教わる人が「ロールチェンジ」ってよんでるんだけど、役割の循環がすごくあるなって思っていて
も:そうね。それは結構大事だと思っているから
う:もしかしたらそういうのがやれるっていうことが、生きやすさを作ったりするのかなと感じてる
も:うん、あ、そうかもなんかね、仲良くなるきっかけってたいがい、教えてもらったり混ぜてもらったりするそういう感じからなんですよね。「えーそれわかめ教えてもらっていいですか」ってほたての石箱やってみたいんだけどじゃましないようにがんばりまーす」そんな感じ。策略じゃなくておもしろそうだからやっりたいんだけど。あんまり自分がいろんなことできる人でないから、教わることで一緒に何かできたら楽しいなと。そういうところで入ってくる情報って、あとからむっちゃいろいろ使えるというか役に立つんだよね。「だからか」とか、そこからでてくる本音とか、そこを聞けるようになってくる。やり取りできるようになってくると自分も仕事しやすくなるし。
う:そういうところが「すてきだわ」って思った♡
も:大人の世界もそうだし、子どももおなじだよね
う:みきてぃのところだとどうなの?そういうの。いま違う形で、自分のやってきたこと総括して新しいこと始めようとしているわけじゃん。なんかそういう時、学校というものに守られていたものもあるし、学校とうものが障壁になっていたものもある気がしてさ。もっちゃんなんかは学校という組織にいながらもわりと自由にいろんな所にいって「ちょっと教えてくださいよ」といいながら、それがいい形で教育に生きてる。って言いうと言葉が大きくなるけど、子どもたちがそれをみて大人になっても「知らない」とか、「わからない」とか、教えてもらっていいんだって
も:そうそう。なんだこれでいいんだって(笑)
う:うんうん。それを見てるっていう。学校における一つのありかたってみてるのね。今みきてぃは学校っていう組織を出てやろうとしていることがあるわけじゃない。何が今までの学校とちがうのか、何を大事にしていこうと思ってるのかなと思って。
み:なんか、最後は特別支援担任で、「この子たちが社会にでてったときに、いずれ社会で生活していく」を意識してきたから、本当に外に出てったのね。自分たちで栽培した野菜を先生たちに売って(笑)そのお金でレストランに行くとかね。地域の中でバスに乗ったり電車に乗ったり。その中で駅員さんとかいろんな人に助けてもらいながらきたっていうところがあって。先生たちにも助けてもらったし、地域の周りの人にもたすけてもらったし、保護者にも助けてもらったし。フリースクールの今も外に出ても助けてもらいながらいろんなことが進んでいるなって感じる。つないでいただいたご縁をどう大事にしていくかっていうところは同じ。ただ「教員」っていう肩書がないことって、自由でもあり、ほんとうに難しくもあり、すごく感じる。伺い立てなくてできるっていうことろはあるから、うまくやっていけたらいなと思ってる
も:教員は良くも悪くも守られてるよね。地域に出てもさ、「ちょっと〇〇小のものなんんですが」って言うと、言っただけでハードルさがるからね。いなかであればあるほど「あ、しぇんしぇいか・」って(笑)悪いやつでなさそうだってね
み:そういう意味では「元教員」っていうのが一つおまもりになっている時もある。教員を長くしてきた人なのねっていう信頼のベースになっていことはある
う:教師っていうステイタスって大きいとおもうんだよね。持ってるでなくやってきたっていう実績があるわけだからね。なんか先生っていってもいろいろたくさんいて、私もよくわかんないけど、会社員っていうのと同じくらいいろいろいると思っているのね。そういう人たちを子どもたちがどれだけバリエーション良く、バランス良く見れるかっていう、機会があるのかはラッキーかどうかみたいな。失礼かもしれないけど、二人みたいな先生に出会えたらラッキーみたいな。でも、もっちゃんが出ようとした東京にも子どもたちはいるわけだし、地方にもいるしそんな中で子どもたちが、言葉を選ばずに言うと、学校という会社の中にいる会社員みたいでなく、地域とも、違う形でもトライしてやれる教員ばかりでないとしたら・・・。二人を見て思うのは、社会性ていうか、「社会の中で何が必要なの?」みたいなことを体験して教えてくれている気がして。そういうの文科省の中にでてこないわけじゃん。
も:今思ったことは、あるときから求められているものを手放したのね。初任者研修とかあるわけよ。おもしろくて入ったけど、指導主事は偉いんだ、失礼があってはいけないんだ。指導主事がくるときは立派なかっこうして、立派な授業していつもと違った子どもたちにしなきゃいけない?指導主事になるのが道なのかと思った時期もあったんですよ。今思えば。例えば、いわゆる「いい授業」とか、「素敵っていう授業」をするのがいいとおもっていたけど、もちろん今もそうなのかもしれないけど。途中で俺できないって。できそうもない。無理!って早々と分かってきた。なんか違うって。そのあたりから自分は何がしたかった?と手放したんだよね。そしたらむっちゃ楽。あまりこうかっこつけなくてよくなったというか、無理しなくてもやりたくないことは基本やらなくていいし、組織としてやんないといけないことは「役割なんでやりますけどね」と一言いうとか。子どもたちにも「おれはこれいらないとおもっているんだけど、学校で決まってるから協力してくれと」言う感じで言うようになったし。まりがったことで叱ってしまったら「ごめんなさい」いうこともあるし、肩ひじはらずに行ったほうがいいなって感じになった。
自分でも大きかったと思ってる
ここからは終了後の番外編
メモ書き程度の言葉だけどここからなにか感じるものがあるんじゃないかなと残すことにしました。
う:二人は教員。教育の軸があって、自分は知らない世界で色々聞けたのもよかったしm最初の極めるが出てきたのも印象的で、極めるってい油ことがだいじだけど固まる、これでなければなんらうと一緒になるおとかしくなるなってだけしかないとはしがうなって。柔軟な極め方。二人はそうなのかなってそんな気がしてます。
もっちゃんにとってふるさとは宮城っていうより雄勝
そこの人との関わり
大嫌いだった小学校の道を歩いてみて、「あれ?」っていうのがたくさんあって。ノスタルジックな感じは人というより土地かな
昔みた公園がちんけに見えたり・・・。
関わった子どもたちにとってそこが思い出になる
教員お得な仕事だけど怖い仕事でもある
親の次に長い時間過ごす人だからね
手伝って
ごめん
を言えるかどうか・・・。
助ける人助けてもらう人
助けてもらう人が元気がなくなる
うらりんのもちつきエピソード
職場にそういうあっぺとっぺな人がいること
場をかます人がいたほうがいい
みんなが立派だと大変
完璧でいないといけない
ずっとはりつめた感じは疲れるよね。だれかがあぺとぺを引き継ぐことになる
だめだめでも普通にいられる
あぺとぺがいるからみんながしっかりしているように見えるのかもしれない
バランスの問題
みんながあぺとぺになったら・・・・
引き受けなければならないとなったらおかしくなる
場を作るセンサーが鋭すぎてもだめでちょっとサビの入った流木のような
あぺとぺの程よい作り方
シェアハウスした仲間みたい(笑)
教育現場に対するうらりんの問い
Comments